性奴隷にされ自決した23人の日本人女性…敦化事件(日満パルプ事件)の真実…

性奴隷にされ自決した23人の日本人女性
敦化事件(日満パルプ事件)の真実…

性奴隷にされ自決した23人の日本人女性

性奴隷にされ自決した23人の日本人女性がいる。
捏造慰安婦とは違う真実。

昨今、日本軍が朝鮮人女性を拉致して
性奴隷をしたとされるコリアンに捏造されたありもしない従軍慰安婦問題で
世界の戦勝国から日本はバッシングを受けています。

しかし、日本の反日左翼のマスメディアは日本が敗戦国であるがゆえに、
過去の日本人が酷いことをされた事件を国民に伝えず歴史の闇に葬られた。

加えて左翼マスコミは戦後から現在に至るまで
米国、ソ連、中共、韓国、北朝鮮による戦時中の
婦女暴行と虐殺のおぞましい事件は完全に黙殺しています。

そんな闇に葬られた事件
敦化事件(日満パルプ事件)を紹介します。

敦化事件(日満パルプ事件)とは

敦化事件とは第二次世界大戦の終戦直後に
満洲国吉林省敦化で起こった日本女性への深刻な人権侵害事件

1945年8月27日に満洲国吉林省敦化(現吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)で
ソ連軍によって連日に渡り集団強姦され続けていた
日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場の
女性社員や家族が集団自決しました。

日満パルプ事件とも呼称されます。

事件の現場となった日満パルプ製造敦化工場は
1934年に王子製紙が敦化県城南門外牡丹江左岸(敦化郊外5キロ)に設立した工場。

工場に隣接して設置された社宅地は高さ4.5mの煉瓦壁でおおわれた
2万坪の敷地内に壮麗な造りの社宅と福利厚生のためのクラブなどが設けられており、
日本人職員とその家族260人が暮らしていた

また、敦化市内には2,000人の関東軍守備隊の駐屯地があり、
終戦当時には敦化北部の山地に築城しソ連軍の侵攻を食い止めようと備えていた。

1945年8月9日未明に突如としてソビエト連邦が満洲国に侵攻し、
敦化に近い東部国境付近では関東軍・満洲国軍がソ連軍と交戦していたが、
工場や敦化市内では満人や朝鮮人の態度も変わることなく治安が保たれたままであった。

8月15日に敗戦を迎えた後も工場の満人や朝鮮人従業員は変わることはなかったが、
敦化市内では満人や朝鮮人の一部による略奪・放火・日本人女性への暴行が行われるようになった。

8月17日、敦化郊外で陣地を築いていた敦化守備隊は工場に資材を取りに来て初めて終戦を知った。

8月19日、ソ連軍が敦化市内に進駐してきたため、
敦化守備隊は降伏し武装解除された。

満洲国を占領したソ連軍兵士

8月22日、ソ連軍は日満パルプ製造敦化工場に進駐した。

ソ連軍は社宅に侵入すると1時間以内に社宅の一角を引き渡すよう要求した。
ソ連兵はすぐにホテル・レストランを兼ねた壮麗な造りのクラブに惹きつけられていった。

ソ連兵はクラブ従業員の女性2人を引きずり出すとジープで社宅から連れ去った。

数時間後に拉致された2人の女性のうち、
1人はボロボロの姿で帰ってきたが、もう1人は帰ってこなかった

8月25日、ソビエト軍は男性全員を集合させると
10キロほど離れたところにある飛行場の近くの湿地に連行し、
婦女子は独身寮に集められた。

170人ほどの婦女子は15,6人ずつに分けられ監禁されることとなった。
夜になるとソ連兵300人あまりが独身寮に移ってくるとともに
短機関銃を乱射する頻度が夜が更けるにつれて増えていった

女性たちは夜が明けることを祈りながら一晩中恐怖と戦っていた。

集団自決

8月26日夜明け、酒に酔ったソ連兵たちは
短機関銃を空に乱射しながら女性たちが監禁されている各部屋に乱入すると
女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら気に入った女性たちを連れて行こうとした

女性たちは金品を渡したり、許しを懇願したが聞き入れられず、
次々に引きずり出されていった。

各部屋からは女性たちの悲痛な叫びが溢れたが、
ソ連兵は構うことなく短機関銃を乱射し続けていた。

このため、女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどしたが、
ソ連兵による強姦は朝になっても収まることはなく
部屋に乱入すると女性たちの胸部をまさぐるなどして気に入った女性たちを何度も連行していった。

社宅と塀を隔てた工場に残されていた男性社員たちは
社宅の異変を察知するとソ連兵の監視を掻い潜り塀を乗り越え社宅に潜入したが、
厳重な警戒が布かれている独身寮には近づくことができなかった。

ソ連兵たちは狼藉を続けるうちに女性たちの部屋の廊下に監視兵を置くようになったため、
御不浄や食事もままならないようになった

女性たちは自身のおかれている状況や絶え間ない銃声から
すでに男性社員たちは皆殺しにあったのではないかと考えるようになった。

ソ連兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行は8月27日の深夜になっても収まることはなかった。
このため、28人の婦女子が集められていた部屋では自決をするべきか議論がなされるようになった。

議論中にもソ連兵の乱入があり、
隣室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、
自決することに議論が決した。

隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自決を図り、
23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った

他の部屋ではソ連兵に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性もいた。

8月27日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、
将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、
女性たちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。

責任を問われることを恐れた
ソ連軍将校によってこれ以上の暴行は中止されることとなった。

この事件については不明な部分が多いのも事実。
当時の軍部は満州に住む一般人を見捨てて帰還した為、事が発覚すれば、
軍部叩きが起こるのを恐れたため、隠ぺいしたとの説もあります。

敗戦国であるが為に大きく報道されることもなく、話題になることもない事件です。

自決された女性のご家族、そして被害に遭われながらも
生き残ったご本人にとっては思い出したくもない事件かもしれません。

しかし、歴史の真実は闇に葬られたままではいけないと思います。

ネットでの反応

・ロシア兵のこういう行為は大昔から有名ですからね。
大戦中に限った話ではないです。
まさに畜生ですよ。

・戦後70年、改めて埋もれた事実を明らかにするべきかも知れません

・私たち一般人が知らない又隠蔽された事実がどれほどあるのでしょうか・・・。
日本政府も立場を変える時期にあるのではないでしょうか。
余りにも先人の方々に申し訳が立ちません。
どれほど無念な思いでいられるか・・・

・本当にロシア、昔のソ連は汚く卑怯な奴らだ。弱いとこしか攻めれない卑怯極まりない